今回取り上げる「科」は、一見何の変哲もない、やさしい漢字である。しかし、意味の広がりが大きいなど、興味のある「深み」も持っている。
まず、文字の成り立ちについてであるが、この文字が「形声」であるか「会意」であるか、辞書の間で相違がある。
「新漢語林」(第2版)や「新漢語辞典」(第3版)では、禾(カ)を声符とする形声文字とされている。科の部首が「禾」であることには異論がないから、この場合、声符を部首とする特異な文字ということになる。
一方、「大漢和辞典」(昭和60年修訂)や「字統」(新訂版)、「字通」、「新選漢和辞典」(第8版)などでは、会意文字としたうえで、「斗(ます)で禾穀を量ることから、程度・区分・品等・条目・法律などを意味する」と、ほぼ同じ解説を記している。さらに、「康煕字典」(内府本)には、「徐曰」として「会意」と明記されている。
ほかに、「大字源」では会意形声文字とし、「意符の禾と、意符と音符を兼ねる斗」からなるというが、斗がなぜカの音になるのかの説明はない。
こうしてみると、会意文字説の方が説得力があると思われるが、不審なのは新漢語林の著者(鎌田・米山両氏)の見解である。大漢和辞典の昭和60年の修訂にあたって、修訂者として名が掲げられているのが、他ならぬ鎌田・米山の御両名である。してみると、大漢和辞典の修訂の成果を活かして漢語林の編纂をされたと思われるが、両辞典で見解が異なるのはどういうわけであろうか。
次に、意味について考える。
説文解字では「程也」と定義され、康煕字典が引用する「廣韻」では「條也本也品也」とされている。ほかに、坎(穴)の意味もあるとされる。
「科」が日本語で多用されるのは、種々の物事を分類する場合である。大学では「英文学科」「建築学科」、小中学校では「理科」「社会科」、病院では「内科」「外科」、生物学では「バラ科」「ネコ科」等々。これらは前述の「区分」という意味から適用されたものであろう。「科学」という言葉も、分類・分析する学問という意味で科の字を用いたのであろう。中国で実施された「科挙」は、「科目に応じて試験される意」(「広辞苑」第6版)とされる。
なお、後述するように、「課」という字も科と通用する場合があるとされており、会社などで「総務課」「営業課」という分類に使われるのも、科との通用によるものと思われる。
また、科には「罪」という意味もある。「科料(「過料」とは別)」、「罪科」、(刑を)「科す」などと、今でも使われている。これは、「金科玉条」というように、区分された箇条という意味から「法律」という意味に拡張したのち、罪や罰の意味を持つに至ったとされている(「字統」)。
康煕字典の引く「釈名」(後漢末)には、「科課也。課其不如法者罪責之也」(科は課である。課は法を守らない者の罪を責めることである)とある。このように科は課と通用し、現代日本では、科はもっぱら刑罰を、課は納税などの義務を負わせる場合に使われている。
さらに、科は訓読みで「しな」とも読み、山科、蓼科、更科など、もっぱら固有名詞に使われている。日本語の「しな」には、「何かの用途にあてる、形のある物」「区別できる種類」「品格・品質」などのほかに、「層を成して重なったもの」「坂道、階段」の意味があるとされ(広辞苑)、また、地名の分布状況から、河岸段丘や崖錐地形につけた名であるともいう(「長野県の地名」)。
ちなみに、「信濃」の国名も、古くは「科野」と表記されていた(一例として、「古事記」神代記・大国主の国譲りの章)。
問題は、「科」という漢字には段の意味はないようなのに、なぜ段丘の地形に科の付く地名が付けられたかということだが、これについては国語辞典にヒントがある。
広辞苑では、「しな」という言葉に「品」「科」「階」の3つの漢字が当てられている。このうち「階」という漢字には、もちろん階段の意味がある。このことから、次のように推測できる。すなわち、①坂道や段を示す「しな」という言葉に漢字をあてる際に、同様の意味を持つ「階」を選んだ ②同じく、品等や程度を表す場合、「しな」に「科」を当てた ③同じ「しな」という訓を持つ二つの漢字が混同され、「科」も、段丘を表す「しな」を表記する際に使われるようになった。
現に、京都市
山科区に「西野
山階町」という町名が現存する。また、更級日記で有名な
更級の「級」にも階段という意味があり(大漢和辞典)、「更級」「更科」両様の地名が現存するので、同様の推測が成立する。証拠としては不十分かもしれないが、検討する価値はあろう。(推測にすぎないが、東京の「品川」という地名も、「段丘を縫って流れる川」という意味だったのかもしれない。)
「科」には他の使い方もある。
「せりふ」のことを「科白」と書く場合がある。ただしこれは日本での用法で、漢語としては「芝居の役者のしぐさ(科)とせりふ(白)」という意味だという(漢語林)。「白」については他にも「独白」「告白」など「話す」という意味の用例があるが、「科」に「しぐさ」という意味があるのはなぜか。「ますで禾穀を量る」という意味からどう引伸したのか、あるいは仮借なのか。これについては、前掲の辞書類を参照しても、残念ながら不明である。
また、「科斗」(または「蝌蚪」)と書いて「おたまじゃくし」を意味する。「斗」(ひしゃく)に似ているからだというが(大漢和辞典に引用する「本草」)、では「科」が付くのはなぜか。おそらく「おたまじゃくし」を意味する語の音にあわせて当てているだけだろう。
さらに、「科斗郎君」とは「
(ミミズ)の怪物」のことだそうだ(大漢和辞典)。どんなものか、一度見てみたいものだ。
「ますで穀物を量る」の意味から拡張し、「科」はさまざまな意味を持つに至った。計量、分析、分類は科学の基本である。自然科学や社会科学の発展とともに、「科」の字の用途も広がってきたようである。
注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究15」(2009年)所収論考「『科』について」を一部修正。 戻る
参考・引用資料
新漢語林(第2版) 鎌田正・米山寅太郎著、大修館書店 2011年
新漢語辞典 第三版 山口明穂他編、岩波書店 2014年
大漢和辞典 修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
字通 初版第12刷 白川静著、平凡社 2006年
新選漢和辞典 第8版 小林信明編、小学館 2011年
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
大字源 尾崎雄二郎他編、角川書店 1991年
広辞苑 第6版 新村出著、岩波書店 2008年
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
日本歴史地名大系第20巻 長野県の地名 下中邦彦編、平凡社 1979年
古事記 武田祐吉訳註、角川文庫 第34版 1970年
画像引用元(特記なきもの)
JIS規格外漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)